アベシクリエイティブ制作秘話

作品づくりやロープ・身体表現、社会教育に関することを徒然に綴ります。

63.最近物語を楽しめるようになってきたというお話

どうもあべしです。

タイトル通りなのですが、最近、物語を読めるようになってきました。物理的には読めてたんですが、楽しめるようになってきたといいますか。そこらへんの心境をまとめたいと思います。

 

 

きっかけ

観に行く予定のダンスの公演が作家のミヒャエル・エンデの作品に着想を得たということで、同じくミヒャエル・エンデ作の『モモ』を読んだことと、映画『PERFECT DAYS』を観たことが大きいです。

 

・・・正確には、作家や監督のインタビューを読んだ/見たことがより大きいでしょうか。

ミヒャエル・エンデ氏&映画監督のヴィム・ヴェンダース氏が全く同じことを言ってるわけではないでしょうが、僕は「つじつま合わせや後付けじゃない、世界の構造から来るストーリーがある」(のを辛抱強く見つける)みたいな感じを受け取りました。

 

ものごころついた時から、“少年漫画”に慣れている?自分は、「能力」や「過去編」に慣れきっていたのですが、上記のことをきっかけにお話・物語は、“そういうの”だけじゃないと思うようになったのです。

 

自分の暮らし(なわ)との関わり

人生もそうなのかもしれませんが、物語はまさに、「過程を楽しむ」という要素があるなあと感じています。(そして、これが自分が今までできていなかったなあと感じる部分)

 

例えば、物語で「魔女の家」が出てきた時に、「どんな大きさ?素材?」「庭ある?」とか「ペットいる?」みたいなのを想起するとか。

 

これまでの自分は「はいはい、主人公が魔女の家に行ったんですね(流し読み)」していました。(ビジネスライクとでも言いましょうか)

 

なわ(とび)でいうと、「はいはい、前跳び(O)したのね」みたいな。それが「どう跳んだ?もしくは越えた?」「そのとき腕は?」とかを気にするみたいな、そんな感じ。

 

また、作家や監督のお話に照らし合わせると、自分は、最近は、いわゆる(レベルの高い?見栄えの良い?)“技”みたいな「“強い”物語」というよりも、“構造”(重力?遠心力?人体構造?)から来る動きみたいなのを探求してます。

 

参考書との違い

そんな訳で物語と参考書との違いも感じてます。

まさに映画『PERFECT DAYS』で主人公の平山さんが1冊ずつ古本を買っていましたが、確かに物語は1冊ずつしか読めないと感じてます。

 

すべての文章が本番で、流れ/順番があるイメージなので。

 

一方、参考書は「結論→具体例」みたいな。目次を見て好きなところから読み始められるみたいな。

参考書的には「結論:王子がドラゴン倒した」なのですが、物語的には、「どんなドラゴン?王子?」「どうやって倒した?」とかが大事、みたいな。

 

まとめと今後の展望のような何か

確かに、まさに人生も結論を言うと「生きて死んだ」でしかないので結論だけを重視しすぎるとちょっぴりさびしいかも?

 

今後は、僕自身も“過程を楽しむ”眼差しを共有するような(ロープ)パフォーマンスなり作品を作っていきたいですね。

 

というわけでみなさまもよい物語ライフを。

 

 

 

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