アベシクリエイティブ制作秘話

作品づくりやロープ・身体表現、社会教育に関することを徒然に綴ります。

17.藤井二冠に見る「考える」とは

あべしです。実は将棋もかじってまして、藤井七段の挑戦を見守っておりました。

「聖の青春」とか「りゅうおうのおしごと!」とか、いいよね!

 

今回、王位戦第4局の封じ手(とか)を見て、思うことがありまして、それは・・・

 

自分ってホントに考えてんのかな?

 

ということ。(今回のブログは↑でもう書きたいこと終わり感)

 

「同飛車大学」とかいう言葉がツイッターでトレンド入りしてましたが(笑)、プロ棋士でも深めづらい(深めるに値する手だと発想しづらい)手を考える藤井棋聖(当時)。

 

解説の橋本八段も「え、この手考えるの?」的なこと言ってましたね。(リップサービスかもしれませんが)

「駒得」といった概念によって切り捨ててしまいがち。

 

そういえば「りゅうおうのおしごと!」でも、主人公の八一君が「この進行は自分にとって有利すぎるからこんな手指してくるわけないよなー」と言った手を『名人』が指してくるとかありましたね。

「『名人』と指すと感覚が破壊される」みたいな。

 

はい。話を戻すと、自分、人生(大げさ)において、ちゃんと考えてんのかな、と。

「こうすればいいらしい」とか「教科書こう書いてる」とか「上司こう言ってた」なやり方をすることを「考えてやった」と思ってないかしら。

頭の負担や時間の削減のために、それこそ「駒得は裏切らない」みたいな格言は人類の知恵ではあるけども。

 

今回、藤井二冠の姿を見て、「(将棋に限らず)自分でしっかり考えて、読みの入った行動をしてみたい!」と思いました。

 

図?にしてみるとこんな↓ 

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「なんとなく」と「考えてる」の違い(主観)

 

藤井二冠の弱点として、「1つの局面を深めすぎる」とか本人も言ってましたが、僕なんかはまずは「深めすぎた」と自分でも思えるくらい考える経験をするのが目標でしょうか。

 

とりあえずそんな感じ。

 

トッププロは最善手を指す可能性が他の棋士より高い

・・・トップの卓球選手も11点の中で差がつくのは最善手(読み・ラケットの角度・スウィングの仕方)の可能性が高いってことなんでしょうね。