78.作品と空間に関する覚書〜初めてビエンナーレに行ってみて〜
どうもアベシです。最近、腰痛で整形外科に行ったらヘルニアと診断されました。痛悲しい。
さて今回は、「ビエンナーレ」というイベントに初めて行ってみて芸術作品に関して思ったことをメモしときます。
僕が先日行ったのはBIWAKOビエンナーレ。滋賀県の近江八幡という地域の様々な場所(歴史的な屋敷とか元酒造とか)にアーティストの作品が置かれていました。
そこで次のような様々な作品を見ることができました。
・展示されている空間の歴史や背景を踏まえて、それにそっと添えるような作品
・逆に空間の大きさだけを使ってアーティスト自身の思想を前面に打ち出しているような作品
・キャプションを丁寧に書いている作品
・逆にキャプションをあんまり書いていない作品
・「これ以上近づかないでー」という境界が引かれている作品
・周囲から近づいて見ることができる作品
これらを見て、自分の作品づくり(自分は主にロープを使ったパフォーマンスですが)について思いを馳せました。
自分はダンスなわとび→ロープフローも取り入れてから、ロープの中と外の境界が曖昧になってきているように感じてます。
そんな中で自分はどんな(パフォーマンス)作品を作るべきか、作りたいか…。
競技やパフォーマンスをしていたときは、「自分を見てー」「すごいでしょー」というやつが「いい」と思っていたかもですが、今後はロープや体そのものだけでなく空間や余白についても考えたいなと思ったのでした。
空間に関して、キャプションに興味深いことを書いているものがあったのでシェアしときます。(うる覚えの意訳)
洞穴を掘るとき、洞穴を使うんだったら洞穴が正で、掘り出されたやつが負になる。逆に彫刻は掘り出されたやつが正になる。
例えばなわとびにも想いを馳せると、なわとびをやってる人やロープが正なのか、なわとびによってロープや体で切り取られる空間が正なのか…みたいな。考えがいがあるなあと思ったのでした。

ふと、こうやって書いていると、自分のなわ(とび)観の変化もまとめたくなってきました。
というわけで今回はここまで。それではよいビエンライフを。
77.子どもたちのロープする様子を見ての覚書②~「フロー」について~
どうもアベシです。最近はイメージを描くのにパソコンでは限界を感じてきているので、タブレットを購入しようか考え中です。(紙に書いて撮影、でもいいのですがアップロードするのに写真を撮って・・・みたいな手間がどうか・・・)
さて今回は予告通り「フロー」について。子供らにロープのワークショップを行ってみての気づきを共有します。ここでは「ゆるやかに流れる」みたいなイメージで考えてください。
ロープでフローというといわゆる「ロープフロー」・・・個別にロープをもって緩やかに動かすやつをイメージするかもしれませんが、僕は近頃はフローの概念を複数人でロープを触るものにも応用できないか考え中なのです。例えば8の字跳びなんかがよどみなく行われている様子はまさにフローと言えるかもしれませんね。
跳び続ける、回し続けるフローはぱっとわかりやすいかもしれませんが、僕が子供たちの様子を見ていて面白いと思ったのは、ロープの外の人の動き。
よく見れられる光景かもしれませんが、ロープに慣れていないと回されているロープの前で「今かな?今かな?」と立ち止まってしまいますよね。一方で、慣れてる子は「見ててねー」とか言いつつスルーっとロープの中に入っていく・・・
つまり、ロープを跳ぶ・回すより外の領域の「フロー」を考えるのも面白いのではないかと!

つまり、縄の外にいる時間の長さが同じでもその場でジーっとただずんでいるか、ワーイワーイとそのまま入っていくかの違い。子供たちを見てると、待ち時間なく(“時間を無駄にせず”)ロープに入れるかというよりは“心地よく”ロープに入れるかという視点も持ちたいなと思ったのでした。
※ミクロな視点で見ると、入るのをためらっている子の体も前後に揺れたりしていてフローしているとも言える。面白い。
ふと。こうして(ロープを直接持っている、跳んでいる人間以外のことも)考えていくと、ロープという概念が拡張されていきますね。不思議。
それでは皆様もよい縄の外フローライフを。・・・フローライフ・・・今後の自分のキーワードになるかも。
76.子どもたちのロープする様子を見ての覚書①~チャレンジについて~
どうも、アベシです。久しぶりのブログです。
最近はせっせとオンラインショップを整えてました。(これについてはまた今度)
さて、タイトルについてなのですが、先日、「みんなの学校ごっこ」という市民が市民向けに授業を行うというイベントがありまして、私、ロープのワークショップを行ってきました。そこでの気づきをメモしておこうと思います。
ちなみにはじめは、「ゆるなわ」((個人で)ゆるゆるなわを動かして楽しむ)のワークショップを行うつもりだったのですが、ふたを開けてみると、お子様が定員以上の申し込み。(参加費は材料費以外とっちゃダメということも関係してか?)
準備してきた縄の数ではひとりひと縄にもできなかったので、仕方なく3人1縄で長縄のようなワークショップになったのでした。※今後、(無料の)ワークショップの開催については考えます笑
そんな感じで、多くのお子さんがロープに触る様子を見て考えたことを書いておきます。
いつから簡単なやり方で満足していた?
長縄のような形で、跳ぶんじゃなくて、なわ“通りぬけ”をしてもらいました。
そうすると明らかに通り抜けやすい向きと通り抜けにくい向きがある。
いわゆる「むかえ縄」(縄が向かってくる方向)と「かぶり縄」(縄が上から降ってくる方)ってやつ。
かぶり縄の方が簡単なんですが、子供たちを見てると、むかえ縄にも果敢にチャレンジしてるんですね。
また、通り抜けるときは、縄の回し手の側から向こうの回し手の側の方にななめに通った方がやりやすいのに、これも果敢にロープに対して正面から向かって行ってました。
「(こうやったらやりやすいよーと)指導しろ」というツッコミが入りそうですけど(謝礼をもらっての体育の授業の講師とかだったらたぶんそうしてました)、何かっていうと、子供らが楽しそうなんですね。
それで、「そんなチャレンジをしなくてもこうすれば簡単だよ」とは言いづらくて、むしろ「なぜ僕はやりやすい方法でできるからといって“できる”つもりになっていたのか・・・」などと考えさせれたのでした。
次回は「子どもたちのロープする様子を見ての覚書②~「フロー」について~」を書く予定です。お楽しみに。
それではよい挑戦ライフを。
75.ミヒャエル・エンデ他の『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』読みました。
どうもアベシです。生きてます。久しぶりの投稿です。
最近ふと図書館にいったら海外の(児童)文学コーナーのミヒャエル・エンデ(作家)のところに、何やら新しめの本があったので、読んでみました。
(ご存じの通り(?)、自分、エンデのファンなのです。)

手に取ってみると初版(日本語訳)が2022年・・・「あれ、エンデさんまだ生きてたの?」と不思議に思い、これは読んでみなくちゃ、と。
本のあらすじは・・・読んでもらうとして(おい)、僕がふーむと思ったのは、この本の作られた経緯。
どうやらエンデ氏は生前に3章まで書いていたらしく、それ以降は幼いころに彼の著作に大きな影響を受け、自らも児童文学作家となった人(ヴィーラント・フロイント)が書いたらしい。
物語そのものも興味深い(映画『PERFECT DAYS』以降、伏線やつじつま合わせではない「物語」ってなんだろう?というのが自分のテーマ)し、他の人が語り始めた物語を(時代を超えて)引き継ぐってどんな気持ちだろう?とか、自分も物語をじっくり作りたくなったり、いろいろしみじみ感じた、そんな本でした。
物語は定期的に摂取しなきゃ(使命感)。
それではみなさまもよい物語ライフを。
74.再びHP作り始めました
73.輪島にボランティアに行ってきたお話①~言葉にならない感情編~
どうもアベシです。先日、縁あって石川県の輪島市でボランティアする機会がありました。そこで感じたことをメモして残しておきたいと思います。
はじめに
わざわざここに書くくらいですから、「みんなも能登行って支援しよう!」ですとか「震災のことを忘れないようにしよう!」とかではないです。なんなら、僕を知る人が見れば「あの人/団体のことか」とわかっちゃうかもなこと書きますが、思っちゃったことは確かで、メモしときたい、そんな個人的な出来事を書いてます。
他のボランティアメンバー
今回、他のメンバーとも一緒に活動しました。こともあり、その人らの言動からいろいろ考えたこともあります。(詳しく書くとアレなのでエッセンスだけ書きます)
「私、現金持ってきてないんで」
・・・「は!?」と思いました。これって、あなたの主義かもしれないけど、現地のお店に「決済手数料払っといてね。」「たぶん1か月後とかに入金されるけどそれまでに何かあっても、まあ時代はデジタルだよね。」的なことを意味しないか・・・?(考えすぎか・・・)
ボランティアって何かわからなくなりました。
「ここって素晴らしい景色だったんですよね・・・」(震災で無人の入場禁止(普段は有料らしい)の場所に入りながら)
・・・なんだ、この火事場泥棒のような謎の行為は・・・目の前の震災による文化財への影響というよりも・・・。
「何かあっても、ボランティア保険に入ってるじゃん」
・・・じゃあ、雇用保険に入ってるから親指切ってみるか!?という気持ち。
ボランティア先
とある施設で受付等のボランティアでした。その中で感じたこと。
「登っていいのはネズミだけ」という張り紙(可動式本棚に)
・・・いや、「まじで危ないから登らないで」でよくね?(棚自体も外れて倒れるらしいのです)
小学生も出入りしてる施設なのですが、(実際に小学生が登ったりしてて困ってたそうです)「なんでも『禁止』とするより、ユーモアも交えて・・・心理学の(?)先生もそう言っていて・・・」とのこと。・・・や、身体・命(しかも他人にも)に危険が及ぶことにそれいらなくない?と。
(なんか、こういうのが“欺瞞”のような何かに見える人)
施設とスタッフとお金について
ぼんやり思ったのが、コミュニティ系とでも言いましょうか、な施設で人間の労働が守られるのは、お金を集める/出す人と運営者が同じ場合ではなかろうか・・・と。
(僕が行ったところは基本的には普段、施設長がワンオペらしい)
図書館だとか他の社会教育施設だとか・・・“資本家”と“労働者”のような感じでしょうか、どうしても“スタッフ”は安くこき使うみたいな状況だと思います。
(それも「やりがい」とかをぶら下げるからタチが悪い)
「私がお金を集めて、私がそこでの働き(運営)に見合った報酬をもらいます。」
なのか
「私は集めたお金を管理する人です。じゃ、あなたはできるだけ安く運営してね」
なのか
・・・構造というか・・・そんなことをぼんやり考えました。
街並みとか心動いたこと
これまで、どちらかというとネガティブな?感じだったかもしれませんが、現地の街並みを見て感じたことや、素敵な発見もあります。それはまた次回。(なんとなくこの記事とは分けたい気持ち)
今回はここまで。
それでは、みなさまもよい もやもやライフを。
72.ロジマジの深掘り〜論理・非論理〜
どうもアベシクリエイティブです。最近は「おじさん」とか「魔法少女」とかの漫画・アニメを研究するのにハマってます。
さて、おかげさまで自作の大喜利ゲーム『ロジカルおじさんとマジカル少女』を行う機会がしばしばありました。
その中で、「回答するのが難しいー」という声も聞きました。ので、ヒントというか、私(作者)の「ロジカル/マジカル」にこめた思いのようなものをメモしておきます。
『ロジカルおじさんとマジカル少女』についての記事はこちら。
abeshi-creative.hatenablog.com
基本、自由に思い描いて。
基本的なルールは、お題に対して、「(辞書的な意味にこだわらなくてもよいので、)あなたの心の中の『ロジカルおじさん/マジカル少女』が回答する」というもの。ホントにどう回答してもよいのです。
ある人は「ロジカルおじさんは頭硬めで、マジカル少女は頭お花畑的な?」とイメージを膨らませてました。例えばそんな感じ。遊ぶ分にはそれで全くよいのです。が、ちょっと深みを出すために今回の記事では、少し踏み込んで考えてみましょう。
宗教を例に考えてみると・・・?
今回はわかりやすく「ロジカルおじさん」を「論理的/科学的」、「マジカル少女」を「非論理的/非科学的」のように考えてみます。
そうすると「宗教」(の存在)はどうでしょうか?
何か“超越的な存在”を信じるというのは、一見「マジカル」のようです。
一方で、「霊的な存在を信じてる人の方が政治や市民活動に積極的」という統計結果もあるみたいです。
と、すると「霊的な存在を信じてると何かいいことがありそう(精神的な安定とか)」という部分に関しては「ロジカル」にも思えてきます。
このように考えると、布教活動というのはロジカルなのかマジカルなのかわかんなくなってきますよね。
同じモノでも「ロジカル」「マジカル」が内包されていたり、人や地域、時代によっても変わるのかも。
『ロジカルおじさんとマジカル少女』で遊ぶ際には、おじさんや少女のビジュアルのみならず、こうした「ロジカルおじさん/マジカル少女」“的な性質”に思いを馳せて、回答してみても面白いかもしれません。

「育てる」?
最後に、ゲームをプレイする中での興味深い発言があったのでメモしときます。回答に悩まれている人を見て、隣の人
「まだ(あなたの中で)『ロジカルおじさん』が育ってないようですね・・・」
・・・な、なるほど。
それでは、みなさまもよいおじさん/少女育てライフを。