どうもアベシです。
新年度ですね。いろいろバタバタしますが、最近いろいろ手伝ったりしたイベントで他の人のパフォーマンスを見て感じたことをゆっくり残しておきたい思いました。
とりとめもない感じですが、たまにはよいでしょう。
・音に対するクリアな反応
いわゆる「音ハメ」というやつ。たしかに見やすい(わかりやすい)と改めて。
・出し惜しみしない
自分にできるジャンルを余すことなく発表してる人がいました。
・・・を見て、自分はビニルロープとかビーズロープとかもやってる(やってた)けど、変にかっこつけて触らないようにしてないかなあとか思いを馳せました。
・挑戦の過程を見せる
今の自分にできるかできないかギリギリのライン(の技)を自分のパフォーマンスタイムで攻めてる人がいました。
・・・を見て、やっぱりこれも「自分かっこつけてないか」と思いを馳せる系なんですが、どこかこれまで自分(周り?)は勝手に「パフォーマンスはこうあるべき」みたいなのに縛られてなかったか、と。挑戦というのはある意味で、なわとびの本質的なところではないだろうか、と思いを馳せました。
・オーディエンスジャッジ
ふと、上記のようなことが歓迎される雰囲気って、出場者がある程度顔見知りで、出場者の「そういう面」を見る眼差しみたいなものが明確ではないにしろ、なんか共有されてるからじゃないかしら、と。
大会の目的にもよるでしょうけど、個人的には、「一部の権力者」に判断を委ねるのではなくって、「自分たちが見たいものを自分たちで決める」みたいなのが好き。
・オーディエンスの態度
ふと話した人(出場はしてなかったパフォーマー)が「『パフォーマンスするのが楽しい』と思ってもらえるように、客席からも盛り上げようした」と言っていて、なるほどと思いました。
・はじめて数ヶ月の出場者も
大会に、そのスポーツ/パフォーマンスをはじめて数ヶ月の人も出場してました。コスプレして!
・・・を見て、自分(10年以上選手)にもできないことをやってる、と思いました。
その人いわく「コスプレすると、“自分”だとできないこと(失敗や恥ずかしい!)ができるようになる」とのこと。なるほど。
しかもその方、会場近くに住んでるらしく、前の大会を見て何かしたくなった、とのこと。一参加者の自分が聞いても嬉しいので、自分が主催だったら、感無量ですね。
・時には主催者、時には出場者
自分が関わるパフォーマンスイベント(つまりフリースタイルスポーツ関係ですが)、自分が主催する時もあれば、他の人が主催するものに出場することもあればお手伝いすることもある・・・・この流動性がいいなとふと思います。
教育的な話をすると、「支援する人/される人」「教える人/教えられる人」が固定化されていないというか・・・。
もっといろんな人にイベントを主催してもらって(自分は楽をして笑)、自分はイベントを楽しめるようになったらいいなとか思ってます。
・自分の「伸びやかな部分」も大切にしたいと思った。
最後に、これを強く思いました。
やはり自分の中に「発見/納得する」「今あるものに満足する」のと同じくらい(?かはわかりませんが)なわとび的に言うと、より速く/高く/たくさん/わかりやすくみたいな部分は確かにあって、そこをかっこつけて隠そうとしない、みたいな。
自分の「ロープする」パフォーマンスをより統合された姿にしたいです。
おまけ
・「会長」について
他の大会でスタッフしてる時のこと。そのジャンルのあるおじさまは「最近の若者は・・・」とか(聞いてもないのに)言う人もいて、このジャンルどうかなあとか頭をよぎりました。しかし、「会長」(出場してた)は、さらっと「運営おつかれさまです(ニコッ)」と言ってくれて「みんな、サイコー」とか言ってて、「これが会長の器か・・・」となりました。
自分も一応フリースタイルスポーツ愛好家の集まりである「フリースタイルな委員会」の「会長」ではあるので、会長らしくいようと思いました。
・ダブルダッチは空間(装置)のことを言っている?
イベントでダブルダッチ体験ブースを僕ともう一人で行いました。
・・・3人じゃなく。つまり、ダブルダッチは「なわとび」というより(「なわとび」なんですけど)、ポールダンスのポールとかスラックラインとかジャングルジム、滑り台みたいな概念に近いんじゃないかとふと思いはじめました。
以上です。文字多いですね。でも、そのぐらい心動く状態にしておきたい気持ち。
それではよい心動きライフを。