あべしです。
連投です。書けるうちに書いておきます。(働け)
今回は10年近くほぼ前跳びしかしてない中での、自分のなわとびへの見方(の変化)について残しておきます。
1年前、もともと自分が「ダンスなわとび」を始めたのは、熟練者がスマートに跳んでる姿というよりも、ちょっと不器用に着地している人の姿に魅力を見てのことでした。(そこに自由さを感じた!)
コロナとか生活の変化で、ガラパゴス化?したところもあり、ここ1、2年が自分の前跳び人生の中で1番なわとび的変化があったかもしれません。というわけでどうぞ。
①「空中でTJ」よりも「地上にいる瞬間」
これは端的にいうとプロフィールにどんな写真を使うか、ですね。つまり自分の象徴はどこかとか、どの瞬間が好きかというのが表れるんだと思ってます。
それでよくTJの瞬間が切り取られますね。僕も学生時代は、TJの写真を撮ったりしてました。
・・・んですけど、最近はこんな感じのが好きになりました。
・・・跳んでる(空中にいる)瞬間じゃないですね。
むしろ、地に足をつけててゆったりしてる瞬間。それも屋外の空が見えるところ・・・みたいな。
②「リリース」よりも「跳ぶ」
最近はインスタでよくリリースしてる人の動画を見ます。「Mic」とか「Manba」とか。(恥ずかしながら「Mic」の名前の由来を知らない人)
39.僕の考える最強の「フリースタイル」 - アベシクリエイティブ制作秘話
↑でも挙げた「ロープフロー」というジャンル(?)ができてるあたり、手に遠心力がかかる感じを楽しむ人が増えているのかもしれません。
(あと引っかからない/途切れないのもよいのかも?)
自分も一時期リリースかっこいい!と思って練習してましたが、最近は回転させる系のリリースは教養程度以上の練習はあんまりしてないかも。
どうキャッチするかというよりも、回ってくる縄にどうアプローチするかを考えるのが好きです。(「回してる」んじゃないです。「回ってくる」んです。(哲学))
次の③にも関係しますが、なわとびの文脈で、ロープを「もの」としてだけ扱うのにはあまり魅力を感じなくなったのかも?
③こんな感じに見えるになった?
・・・つまり自分にはこう↓見えるようになったかもしれません。
この視点でリリースとかを見てると/やってると、
「俺が縄をうまく扱ったから・・・何?」(誰目線だ・・・)
みたいな謎の感情が生まれることに気づきました。
つまり・・・
自分が扱っているもの・惹かれるものは、「縄」そのものというよりも、
・必ずやってくる、上がっては沈む太陽のような・・・「時間」
→そこに自分の体を同期させる。跳ぶ。
(なので、個人的には自分の都合で(サイドスウィング等で)「抜く」のはあんまり好きじゃなかったり。(こだわり))
・その形や動きによって、周りに線引かれる・・・「空間」
なのではないか、と。
・・・伝わりますかね・・・。
しばしば「あえて変わったことをしようとしてる」的に見られているような気がしないこともない時があるんですけど、僕的には自然の摂理(内的な真実?)に従ってるだけなのですが・・・。
最後にそれっぽく書いて終わろうと思います。
なわとびとは、時間と空間を扱ったものである。(2022 あべし)
次回は、今回の記事のきっかけになった「ライトダンスなわとび」について書こうと思います。それではよいなわとびライフを。